doda moto キャンパス
doda moto キャンパス
(元学生ID:FOR-04)
〇△卒業 20歳 男性
東京都在住 1968年3月生まれ 福島県立郡山高等学校卒業
スキル
・学校や会社を休まない
・面白い冗談を言える 大学時代に後輩から「最近、明夫先輩のギャグしか笑えなくなりました」と言われた。
語学資格
まだ登録されておりません
その他資格
自動二輪大型免許(限定解除) 普通自動車免許 宅地建物取引士
経験(アルバイト)
新聞配達、牛乳配達、パン屋、喫茶店、スイミングインストラクター
自己PR
環境に負けず努力し続けることができる。
出身は福島県、その当時の地方は裕福とはいえない環境であり、欲しいおもちゃを買ってもらえないことが普通の時代。子供の頃に近所のお家のおもちゃを盗んだこともあります(すぐに追いかけられて捕まりました)。
小学校6年の冬~高校3年生まで新聞配達と牛乳配達をしながら小遣いを稼いでいました。冬は吹き下ろしの風が強く厳しい環境のなか、自転車での配達でした。
新聞配達を始めた初日、新聞を縛る荷台のゴムを締め直すことを知らなかった為、途中で新聞が全部風で吹き飛ばされてしまい、泣きながら1軒1軒謝って回りました。雪の降り積もった朝は泥除けとタイヤの間に雪がつまり、自転車が動かなくなるときもありました。そんな時は自転車ごと担いで配達していました(身長もまだ140センチ台と小柄でしたのでかなりの重さでした)。
また、冬の朝はまだ暗く、電灯も殆ど無いなか、民家1軒1軒が離れているので、誰もいない暗闇の怖さを感じながらの配達でした。
(白い秋田犬との出会い)
配達先の一つに大きな庭で白い大きな秋田犬を飼っているお家がありました。その秋田犬は玄関先の新聞受けの近くによく座っていたので、帰りに頭をなでたりしてましたが、ある日曜日、飼主さんが自分が来たタイミングを見計らい、その犬の鎖を外しました。
その後、その秋田犬は自分の配達にずっと付いてきました。田舎なので犬を飼っている家は多かったのですが、その犬たちが吠えることがあってもその秋田犬は吠えることなく庭の外で座って待っていて、自分が玄関に新聞入れて戻ってくるとまた付いてきます(なんとなく心強かった)。そして最後まで配達が終わり、終わったことを伝えると冬の田んぼの中を走って帰っていきました(秋田犬は頭がいい)。
それからは、日課のように付いてくるようになりました。
ある時、修学旅行の日で集合時間も早く、急いで配達する必要があったのですが、秋田犬はその日も付いてきました。急いでるから今日は付いてきては駄目だと追い返したら、寂しそうに帰っていきました(と思ったら帰るふりをしただけで、また走って付いてきました)。自分に見つかると道端の草を触ってごまかしたり、付いてきてないフリをしながら。結局、最後まで付いてきました。。。
この当時はただ戯れてたと思っていましたが、大人になってから、その秋田犬からみれば自分は格下の存在で、泣きながら配達している弱い存在の自分を守ってくれていたんだということに気付きます。
【弊社の白いオオカミのキャラクター】
この白い大きな秋田犬をイメージしています。秋田犬だとソフトバンクのキャラとかぶってしまうので、自分の動物占いのキャラであるオオカミにしました(ちなみにソフトバンクの白い犬は子犬だと思います)。その白い大きな秋田犬が今でも天国から見守ってくれていると信じています。。。
経験(高校時代)
高校は公立の男子校(普通科)。学校から貰える3つのメダルをすべて獲れたことが私の誇りです。
1つ目「槻葉賞」という成績優秀者や功労があった生徒に贈られるメダル。
2つ目「皆勤賞」の生徒に贈られるメダル。
3つ目「校内マラソン大会」での入賞者に贈られるメダル。
一番思い出深いの出来事が、マラソン大会での入賞でした。
男子校で8~10クラス(40人位)×3学年 総勢1,000人超で30位以内に入ることがメダル獲得の条件。
公立校でありながら甲子園にも国立(サッカー)にも出場したこともある高校。陸上部はもちろん、各運動部の威信を賭けての12.5キロの本気のレース。
超運動神経抜群の友人から「潰れてもいいから全力で行くぞ」と声をかけられ、スタート直後から集団を抜け出す為、全力で走りました。
なんとか走り切り、ぎりぎりの28位でゴール!(やったー)
友人は11位でゴールしていたので「遅くて待ちくたびれた」とねぎらい?の言葉
後日、全校生徒の集まる体育館の壇上で、入賞者一人一人にメダルを授与された。この後、誇りを感じながらの学生生活を送ることができたと思う(共学だったら少しはモテたかも。。)
経験(大学3年生/20歳の経験)
この年は大きな変化があった年であり、3つの国家資格を取得しました。
資格その1 宅地建物取引主任者資格
資格その2 自動車免許
資格その3 自動二輪大型免許(通称:限定解除)
大学2年の終わり頃、左耳の鼓膜がほとんど無い状態になっており、水泳部の練習やスイミングスクールのアルバイトもやめることになりました。
3年生の夏休み、傷心でオートバイで北海道一周ツーリング(その時の写真を何枚か載せています)。北海道の自然に触れ、気分転換になった気がします。
大型バイクのライダー達とふれあい、そのかっこよさに魅せられ、帰ってきてさっそく大型免許取得(通称:限定解除)に挑戦。排気量の制限がなくなる為、どんな大きなバイクも乗れるのが限定解除。
【時代背景】
この頃は第二次オートバイブームと言われた時代、オートバイの数も今とは比較にならないくらいの台数であり、ツッパリ系やオートバイを題材とした漫画もたくさん流行っていました。なかでも「バリバリ伝説」に魅せられた当時の若者は多く私もその1人でした。強くて速いとかがかっこいいと思われていた時代。この時代に大型バイクに乗ることは憧れの存在でした。
そんな「限定解除」への挑戦
鮫洲(東京)の試験場には、掃いて捨てるほどのライダーが連日、試験に訪れる(何十回受けても受からない人は受からない)。試験場の試験官たちも合格させるのではなく落とすのが目的なのか、軍隊の鬼教官のような雰囲気だった。
試験は練習とかはなく、初めて乗る大型バイク(大きくて重い)に、いきなり跨ってスタート。そこで一発でクラッチをつなぎスタートできないとその場で失格。走り出せば車重の感覚をつかめず、最初のコーナーで転ぶことも普通(もちろん失格)。その後、規定コースに入り、一本橋を規定の秒数以上でゆっくり渡る(ゆっくりが難しい)。クランクのコースや、段差のコースを抜けたり、そしてパイロンの間をぬって走るスラローム走行とか、全部クリアできれば、そこから普通の教習コースを走ります(ここまでで何人が脱落することか)。
自動車免許と違い、誰もコースを教えてくれないので、その日に発表される教習コースを記憶していなければなりません。しかも走ったことのないコースです。
1回目の試験では規定コースの途中で早々と脱落、2回目では規定コースをクリアしたものの、教習コースに出てからコースミスで脱落。ただ、スタート地点に戻ってきた時、鬼教官から「練習してきたのか?」と聞かれたので「はい」と答える。「頑張れよ」と声かけられる(?)
待合室に戻ると試験待ちのライダーからの視線が集まり、何??と思っていたところに、見知らぬライダーが近づいてきて、見ていた教官の1人が自分の「スラローム走行」を見て「あいつはうまいな」と言っていたそう。鬼教官もそこを見てくれてたのだと。
(3回目の試験)
3回目は無事完走。試験後、自分を含む3~4人のライダーが呼ばれました。但し、自分だけ別室に呼ばれ、それまでの3回の免許停止歴を指摘されました。「これからは模範となるライダーとなるのだから気をつけなさい」と嬉しい説教。やった~合格!!
自動車免許
奨学金とアルバイト代は生活費とオートバイのローン返済で使ってしまっていたので、自動車教習所に通うお金がなく、何回も試験会場で試験を受け、なんとか教習所に通わず取得しようとしていました。この年は親が無免許運転しないようにとお金を出してくれたので教習所に通い、ストレートで合格。
というわけで20歳の時、3つの国家試験に合格しました。そしてこの時の宅建の資格が今の人生の流れを作ったと思います。
バリバリ伝説の世界に憧れた、オートバイ(MOTO)と一緒の学生生活でした。
それでmotoキャンパスというタイトルに!(元という意味も含めてます)。
おまけ
大学水泳部&酔っ払い
オートバイ編(北海道ツーリング)
限定解除後にこのオートバイの750CC(日本仕様)に乗ることに!
社会人1年目 スキー
新聞配達を始めたのは、スキーをしたかったから。自分で稼いたお金で道具を買い、リュック背負って電車とバスを乗り継いでスキー場に。リフト代も自分のお金。スキー教室に参加(できないので)、インストラクターの教えてるところを近くで見聞きして覚えた(基礎は大事なので)。社会人になって、人生で初めて上下おそろいのニューモデルのウエアを夏に予約して購入!!
社会人になってからの趣味 トライアスロン
【30年後】 今、感じていること
苦労や経験に無駄なことはないと思う。新聞配達してたからマラソンも速くなったし、マラソンや自転車に自信があったからトライアスロンをはじめた。トライアスロンをしていたことで、幕張ベイタウンを知った。この街で店を構えることができたことで現在がある。すべて繋がっていると思う。
そして数え切れないくらい多くの人々に支えられながら生きてきた(それは今も変わらず)。その分、自分が多くの人を支えていければと考えています。
自分が目指したい生き方
https://www.youtube.com/watch?v=KxPCQr_Q-2w
「与えるものは与えられる」
できる限りそのことを実践していきたい。
またそのことができる環境が今の仕事場でもあると考えています。
30年前の学生より